カシオの歴史

1980年代

1980(昭和55)年

1月

電子楽器「カシオトーン」(201)発売

1980(昭和55)年1月 電子楽器“カシオトーン”(201)発売

1979(昭和54)年、カシオは電卓、時計に続く新たな事業として楽器事業への参入を表明。翌1980(昭和55)年1月、「特殊な訓練や労苦を要さずに、誰もが音楽と親しめ、簡単に演奏が楽しめる楽器づくり」というコンセプトの下、電子楽器「カシオトーン」を発売しました。「カシオトーン」は電子楽器特有のいわゆる電子音ではなく、ピアノやオルガン、ギターなどの自然楽器の音を再現することを目的にしていました。折しも経済成長に伴ない、物質だけでなく「心の豊かさ」を求めていた時代に「カシオトーン」は、瞬く間に市場に受け入れられ、音楽の新しい楽しみ方を広げていきました。

「カシオトーン201」

1981(昭和56)年

1月

甲府工場にて電卓自動化生産ライン稼働

9月

ソーラー電卓(SL-801)発売

10月

電子辞書1号機「TR-2000」発売

1981(昭和56)年10月 電子辞書1号機「TR-2000」発売

計算機で培ったデジタル技術と小型化技術を用いて、カシオは新しい分野の開拓に取り組みました。1981(昭和56)年10月、大容量の記憶装置を開発し、手帳サイズで厚さ8ミリ、重量53gという小型軽量のボディに、2020語の英単語・熟語を収録した電子英和辞典「TR-2000」を発売。以後、半導体技術の発展ともに記憶容量は増え、国語辞典、漢和辞典など、さまざまな辞典をワンタッチで引ける「電子辞書」の分野を確立しました。

TR-2000
11月

第一回カシオワールドオープンゴルフトーナメント開催

1981(昭和56)年11月 第一回カシオワールドオープンゴルフトーナメント開催

創業25周年を機に、カシオの知名度および企業イメージの向上、また日頃の感謝の意味を込めて国内外のプロプレイヤー、アマチュアプレイヤーの参加による全世界的なゴルフトーナメントを主催しよう――これが、カシオワールドオープンゴルフトーナメントの始まりでした。多くの有名プレイヤーに参加いただけるよう、各国のトーナメントがシーズンオフの11月の開催とし、またこの時期最適なコンディションでプレイできるよう、開催地には温暖な鹿児島県・指宿市が選ばれました。

1982(昭和57)年

6月

カシオ科学振興財団設立

1982(昭和57)年6月 カシオ科学振興財団設立

当時の社長・樫尾忠雄は、自らがリレー計算機の開発に際して資金不足に苦しんだ経験から、日本の科学研究振興の一翼を担うことを目指し「カシオ科学振興財団」を設立しました。以来毎年、大学研究機関の推薦協力を得て、自然科学(特に電気工学・機械工学)、人文科学、健康維持・増進を目的とした電子工学と医学、生理学等の学際的研究の分野で萌芽的な段階にある先駆的・独創的研究への助成を続けています。

カシオ科学振興財団設立
11月

アナログウオッチ(コンビネーションタイプ)「AQ-500」発売

1983(昭和58)年

4月

耐ショック腕時計「Gショック」1号機(DW-5000C)発売

1983(昭和58)年4月 耐ショック腕時計“Gショック”1号機(DW-5000C)発売

1983(昭和58)年、それまでの時計の常識を覆す時計「G-SHOCK」が発売されました。薄さ・軽さを追求していた時計のトレンドの中で、全く異なるゴツゴツしたデザインは、「ビルの上から落としても壊れない時計」という独自の開発思想に基づいたものでした。発売当初はその独特の外観から、アメリカなど、ごく一部の市場でしか受け入れられませんでしたが、約10年後、ファッショントレンドの変化とともにその機能・デザインが再評価され、全世界で爆発的なヒットを記録します。「G-SHOCK」は「耐衝撃腕時計」という時計の新たなジャンルを確立し、カシオの時計を代表する商品となっています。

G-SHOCK 1号機(DW-5000C)

ROMパック採用の電子キーボード「PT-50」発売

5月

電子手帳1号機「PF-3000」発売

1983(昭和58)年5月 電子手帳1号機“PF-3000”発売

誕生以来、ハードウェアの変革によって電卓は進化を続けてきました。トランジスタ→IC→LSIというCPUの変革、またニキシー管→蛍光表示管→液晶という表示技術の変革によって、電卓は小型軽量化が進みました。それがほぼ究極まで近づいたこの頃、半導体メモリーを活用したソフトウェアの活用によって、電卓は新たな進化を遂げることになります。その代表例が電子手帳です。 1983(昭和58)年、電子手帳1号機「PF-3000」が発売されました。電話帳・スケジュール・メモといった新たな機能を搭載した電子手帳はビジネスマンの需要を喚起しました。後の機種では漢字も使えるようになり、ICカードを使った機能の追加やパソコンとのシンクロも可能となるなど、その進化は後の携帯情報端末へとつながっていきます。

PF-3000
6月

ポケット型液晶テレビ「TV-10」発売

1983(昭和58)年6月 ポケット型液晶テレビ“TV-10”発売

1983(昭和58)年6月、世界最小のテレビが発売されました。2.7インチのモノクロ液晶を採用した「TV-10」です。1974(昭和49)年以来研究開発を続け、時計・電卓に採用してきた液晶技術が、画像を表示するまでに進歩したのです。 1985(昭和60)年にはカラーパネルも開発され、液晶カラーテレビ「TV-1000」として発売されました。以降、液晶はTNからSTN、TFTと進化を続け、ブラウン管に換わる次世代ディスプレイとして、現在では様々な製品に搭載されるようになっています。

TV-10 TV-1000
11月

クレジットカードサイズの電卓「フィルムカード」(SL-800)発売

1983(昭和58)年11月 クレジットカードサイズの電卓“フィルムカードSL-800”発売

「カシオミニ」によるパーソナル化が実現して以来、ハンディサイズ、手帳サイズ、カードサイズと、電卓の小型・薄型・軽量化が急速に進みました。そして1983(昭和58)年4月、ついに究極のクレジットカードサイズ(幅85mm・高さ54mm、厚さ0.8mm、重量12g)の電卓が発売されました。フィルムカード電卓「SL-800」は、カシオの電卓1号機である「001」と比べると、重量はわずか0.07%、容積にいたっては0.008%で、この数字は、その間の技術革新の激しさをそのまま物語るものです。「SL-800」で完成された電子部品のフィルム化技術は、カシオの製品の小型化・高性能化に貢献するとともに、世界最先端の電子デバイス事業を確立する基礎ともなりました。

SL-800

1984(昭和59)年

1月

電話番号を記憶できるデータバンク腕時計発売

1984(昭和59)年1月 電話番号を記憶できるデータバンク腕時計発売

1974(昭和49)年に時計事業に参入して以来、カシオでは腕時計を単なる『時を知る道具』から『腕に付ける情報機器』へと進化させるため、計算機能(1980年発売 C-80)や、辞書機能(1982年発売 ウォーキングディクショナリー T-1500)など、さまざまな機能を付加した腕時計を発売してきました。 中でも1984(昭和59)年に発売した「データバンク テレメモ10(CD-40)」は、16桁のアルファベットと数字を10組記憶し、呼び出すことができるデータバンク機能を搭載しており、電話帳を不要にする画期的なものでした。まさに『腕に付ける情報機器』のコンセプトが受け入れられ、発売以来5年間の売上が全世界で累計600万個を記録する、爆発的なヒット商品となりました。この後、データバンクウオッチはシリーズ化し、カナ文字表示、時刻表機能、オートダイアル機能などの機能を付加し進化していきました。

CD-40
7月

「カシオ電子工業(株)」を設立

8月

手書き認識するデータバンクウオッチ「DB-1000」発売

10月

MSX規格のホームパソコン「PV-7」発売

11月

PD音源採用のデジタルシンセサイザー「CZ-101」発売

1985(昭和60)年

3月

超薄型デジタルウオッチ「ペラ」(FS-10)発売

1985(昭和60)年3月 超薄型デジタルウオッチ“ペラ”発売

樹脂製時計バンドの中に、時計そのものを一体化してしまうという斬新なアイデアを、電子装置の微小化技術と樹脂成形に関する革新的な「ハイブリッドモールディング技術」の開発によって完成させたのが「ペラ FS-10」です。厚さ3.9mm、重量12gという超薄型・軽量を実現した「ペラ」は、発売後またたく間に人気を集め、時計業界初のミリオンセラーモデルになりました。

ペラ
4月

甲府事業所にコンピュータ管理による電卓FA工場完成

1985(昭和60)年4月 甲府事業所にコンピュータ管理による電卓FA工場完成

電卓のコストダウンと品質向上を目的に、カシオは本格的な生産自動化ラインを1981(昭和56)年1月、甲府事業所に導入しました。その後、このラインの実績を踏まえて、コンピュータ管理による本格的な電卓FA(ファクトリー・オートメーション)工場が、1985(昭和60)年4月に甲府事業所に建設されました。この最新工場は部品の供給から組立・検査・梱包にいたるまで、トータルな自動化を実現し、24時間連続無人運転が可能でした。月産150万台の生産能力を持つ高度な汎用自動化ラインは、世界に類を見ないFA工場として高い評価を獲得しました。

電卓自動化生産ライン

液晶シャッター式ページプリンタ「LCS-2400」を発売

5月

ポケット液晶カラーテレビ「TV-1000」発売

7月

パーソナル日本語ワードプロセッサ「HW-100」発売

8月

中国・北京に事務所を開設

1986(昭和61)年

2月

文字情報処理ができる新電卓「データキャル」発売

3月

サンプリング電子楽器「サンプルトーン」(SK-1)発売

1986(昭和61)年3月 サンプリング電子楽器“サンプルトーン”発売

1986(昭和61)年3月、サンプリング機能内蔵の画期的な電子楽器「サンプルトーン」(SK-1)が発売されました。それまでピアノやギターなどの自然楽器はもちろん、電子楽器であっても演奏に使える音色は限られているのが常識でした。しかし身の回りにある様々な音を音源にできるサンプリング機能を搭載することで、演奏の表現は無限に広がり、電子楽器史上に新たな歴史を刻むことになったのです。SK-1は楽器ではまれな100万台を超える大ヒット商品となりました。

「サンプルトーン」SK-1
5月

UNIX搭載の32ビットスーパーオフコン「SX1000シリーズ」発売

1987(昭和62)年

1月

「カシオ計算機(香港)有限公司」設立

7月

東京都青梅市に「カシオマイクロニクス(株)」設立

1987(昭和62)年7月 東京都青梅市にカシオマイクロ二クス(株)設立

1987年、第一次円高(260円台→120円台)の影響で、電卓の国内生産は岐路に立たされます。当時の電卓メーカー各社が選択すべき道は二つありました。海外に生産拠点を移すか、徹底したコストダウンを可能にするデバイスを開発し国内生産を続けるか、です。既に甲府工場で電卓の完全自動化ラインを稼動させ、組み立てコストの削減に成功していたカシオは、国内生産の道を選びました。そしてより一層競争力を高めるため、電卓のデバイスの中で最もコストのかかる半導体の後工程を自前で行なうことを決定したのです。
半導体の後工程とは、半導体にさまざまな加工を施して、各製品に部品として搭載できる形態に仕上げる工程のことです。カシオ計算機の基幹商品であった電卓の「軽薄短小化」「高機能化」「低コスト化」を実現するため、この後工程を担う会社として1987(昭和62)年7月、東京都青梅市に「カシオマイクロニクス株式会社」が設立されました。

カシオマイクロニクス

手帳・辞書・計算機が一体になった漢字電子手帳「DK-1000」発売

1987(昭和62)年7月 手帳・辞書・計算機が一体になった漢字電子手帳“DK-1000”発売

DK-1000は、漢字が使える電子手帳の第1号機です。JIS第1水準と第2水準の一部の漢字が使え、約47,000語の辞書を内蔵していました。漢字が使えるようになったことで、従来のカナだけの表示に比べ、見やすさが一段とアップ。また、辞書は簡易漢字辞書としても使えるため、紙の手帳にはない機能をアピールできました。電子手帳が世間に広まるきっかけとなったモデルです。

DK-1000
8月

どこにでも印字できるハンディワープロ「HW-7」発売

多彩な音色と機能が楽しめる電子ギター「DG-10/20」「MG-500/510」発売

9月

液晶テレビ付きポータブルVTR「VF-3000」発売

ポータブルDAT「DA-1」発売

10月

「韓国カシオ」設立

NCCグループにページャーを出荷開始

1987(昭和62)年10月 NCCグループにページャーを出荷開始

ページャーとは、小型の液晶端末にデータを送信する移動通信システムのことです。日本では、NTTの前身である電電公社が1968(昭和43)年に東京地区でサービスを開始したのが始まりです。カシオは、1987(昭和62)年、時計で培った技術をもとに、NCCグループに製品供給を開始しました。その後、ページャーは、1995(平成7)年3月の端末買い取り制度の導入とともに急速な普及が始まり、低価格化が進みました。また、数字の列を文字に変換してメッセージが表示できるものや、インターネット経由で電子メールを受信できるものなど、機能も次第に進化し、ビジネスマンから若者まで、一大ページャーブームが巻き起こりました。その後、PHSや携帯電話の低価格化が進み急速に普及しはじめると、次第にページャーの需要は減少しました。しかし、ページャーの開発によって培われた通信技術は、その後PHS、携帯電話に受け継がれています。

多機能ページャー「NICOTO」
11月

電子スチルカメラ「VS-101」発売

1987(昭和62)年11月 電子スチルカメラ“VS-101”発売

電子スチルカメラとは、撮影した静止画像をフロッピーディスクに記録するカメラです。テレビに直接つないで、撮った画像を簡単に見ることができました。この電子スチルカメラは、現在のデジタルカメラと異なり、画像の記録がアナログ方式(FM記録)でした。このため、パソコン等に直接画像を取り込むことはできず、取り込みには、専用のキャプチャボードあるいはハードウェアが必要でした。 この時期は、動画と音声が記憶できるビデオムービーが普及段階にさしかかっていました。静止画しか撮れず、画質も銀塩写真より劣る電子カメラのニーズはほとんどなく、残念ながら市場への定着はできませんでした。しかし、この時に培った様々な技術は進化を続け、その後、デジタルカメラ「QV-10」で花開くことになります。

VS-101

1988(昭和63)年

2月

どこにでも複写できるハンディコピー「CP-100」発売

シンセサウンド内蔵のギター「PG-380」発売

4月

管楽器演奏が簡単に楽しめる電子楽器「デジタルホーン」(DH-100)発売

12月

樫尾和雄、社長に就任

1989(平成元)年

2月

天気の傾向が予測できるセンサー付デジタルウオッチ「BM-100WJ」発売

1989(平成元)年2月 天気の傾向が予測できるセンサー付きデジタルウオッチ“BM-100WJ”発売

一般的に、気圧が上昇傾向であれば天気は快方に向かい、下降傾向であれば悪天候に向かっていると言えます。BM-100WJでは、この傾向を利用して天気を予測する機能を持たせたデジタルウオッチです。内蔵の半導体圧力センサーで3時間おきに気圧データを計測し、そのデータをバーグラフで表示。グラフが右肩上がりなら天気は良くなり、左肩上がりならその逆というわけです。また、この気圧データをもとに、おおよその高度・水深も知ることができました。これらの画期的機能が受け、BM-100WJは大ヒット商品となりました。これ以降、カシオではセンサーを利用したさまざまな機能を搭載した腕時計を“センサーウオッチ”としてシリーズ化しました。

BM-100WJ
4月

ユーザープログラム不要の事務用情報処理装置「ADPS R1」発売

1989(平成元)年4月 ユーザープログラム不要の事務用情報処理装置“ADPS R1”発売

ADPS(アドプス)の名称は、Automatic Data Processing System からきています。つまり、自動的に情報を処理する装置という意味です。これは、当時の会長である樫尾俊雄が長い年月をかけ企業の経済活動のすべてを分析・究明し確立した「事務データ理論」に基づいたものでした。ADPS R1は、ユーザープログラムを組まずに、事務用のデータ処理を実現する画期的なシステムで、大きな話題を呼びました。

ADPS R1
8月

ICカード対応の漢字電子手帳「DK-5000」発売