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創業世代から第二の創業へ

創業世代から第二の創業へ 「創造 貢献」を受け継いでいく
創業世代から第二の創業へ
「創造 貢献」を受け継いでいく
 
カシオ計算機、新たな時代へ
 カシオ計算機の生みの親である忠雄は、1988(昭和63)年、社長を退任します。順番では次男の俊雄が、次の社長になるはずでしたが、「おれは発明が天職。これからも発明を続けることが会社のためになる」と固辞。そこで、「おれがやるよ」と和雄が社長を引き受けました。俊雄は会長に、幸雄は専務に就任します。
30年近くにわたって社長を務めてきた忠雄の跡を継いだ和雄は、カシオ計算機の成長を加速させます。俊雄のデジタル技術を生かし、電卓や多機能デジタルウオッチ、電子楽器など、数多くの製品を世界中に送り出しました。また、画像処理技術を発展させ、1995(平成7)年には、初の一般向けカラー液晶画面付きデジタルカメラ「QV-10」を発売。デジタルカメラという新たな市場を創出しました。カードサイズのデジタルカメラ「EXILIM EX-S1」を発売し、写真を気軽に撮れる文化を創造。その後、カシオ計算機は一般消費者向けデジタルカメラ事業から撤退しますが、ここで培った技術は、今も医療や製造業向けの新製品に生かされています。
 
逆境も、兄弟で乗り越える
 しかし、順調なことばかりではありません。デジタル化だけでは商品が売れなくなり、日本のエレクトロニクス業界は、厳しい競争の時代に突入します。円高やアジア諸国の台頭などの逆風も吹く中、和雄は持ち前の決断力やマーケティングの能力をいかんなく発揮。強い商品を育てて世界の成長市場に送り出し、カシオをグローバル企業に成長させます。時には「発展を続けるには、過去を捨てる思い切った決断が必要だ」と事業再編にも踏み切り、会社の危機を乗り越えてきました。
事業の拡大と世界市場での競争を、幸雄が支えました。新たな工場の立ち上げをけん引し、高い生産技術を海外に伝承する役割も担い、海外生産の礎も築き上げました。
忠雄が社長を退いた後も、兄弟が協力することで、カシオ計算機は発展を続けることができたのです。
 
「創造 貢献」を
受け継いでいく
 1993(平成5)年、忠雄は75歳でその生涯に幕を下ろします。三人の弟たちにとって父親のような存在であった忠雄。忠雄がいたからこそ四兄弟は結束できました。
2012(平成24)年には俊雄が、2018(平成30)年には長年にわたって社長を務めた和雄が亡くなりました。現在、社長は和雄の息子である和宏に引き継がれ、カシオ計算機は新たな時代への一歩を踏み出しています。
「一人では何もできなかった。全員合わせて一人前」。四男の幸雄は、樫尾四兄弟をこう評します。四兄弟がそれぞれの優れた個性をぶつけ合い、チームワークを発揮しながら「創造 貢献」を体現してきた歴史は、今後も受け継がれていきます。
 
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