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時計事業への参入 | CASIO

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時計事業への参入

時計事業への参入 想いをひとつに、新市場を切り拓く
時計事業への参入
想いをひとつに、
新市場を切り拓く
 
俊雄が「オートカレンダー
機能」を発明
 「カシオミニ」の大ヒットで、大きく業績を伸ばしたカシオ計算機は、新規分野の開拓を模索します。開発担当の俊雄が目をつけたのは、時計でした。
「時間は1秒1秒の足し算である」。これが俊雄の持論でした。その意味では時計は一種の計算機とも言え、これまでの技術を最大限に活用することができます。「新規参入するのに、ただのデジタル時計ではダメだ」。俊雄が考案したのは、30日までの月と31日まである月を区別し、自動で正しい月日と曜日を表示する「オートカレンダー」機能。これは、腕時計として世界で初めての機能でした。
 
忠告に反論
「新市場を切り拓きたい」
 1974(昭和49)年、社長の忠雄は、腕時計の発売を前に、業界大手の時計メーカーに挨拶に訪れます。社長同士の面談は和やかに終わりました。
ところが、その何日か後、メーカーのグループ会社の社長が、俊雄と幸雄を訪ねてきました。「今からでも遅くない。時計は時計メーカーに任せた方がいいんです」と言います。しかし、俊雄はこれに反論しました。「競い合うつもりはありません。デジタル技術を使って、今までにない多機能の時計を開発したいのです」。俊雄の想いは、あくまで「カシオミニ」と同じく、あくまで新しい市場を切り拓くことにありました。
その年の11月、カシオ計算機はデジタル時計「カシオトロン」の発売に踏み切ります。
 
忠雄と和雄の尽力で、
時計事業に参入
 時計事業に参入し、カシオ計算機が苦労したのは、意外にも時計のケースをどのように調達するかでした。金属製ケースを作るメーカーのほとんどが、他の大手時計メーカーに納入しています。「カシオと取引すると、注文が止まってしまうのではないか」という懸念があったのです。社長の忠雄は、根気強く、お願いの挨拶に回りました。
販売網作りも困難を極めました。当時、時計はほとんど専門店で扱われていました。そのため、「カシオミニ」を売った時の家電量販店や百貨店にお願いをして扱ってもらいました。和雄の営業としての人脈が、ここでも生かされたのです。
 
和雄の先見の明、
ここでも発揮
 1983(昭和58)年、カシオ計算機は「G-SHOCK」を発売します。「衝撃に強い」というテーマは社内ではあまり注目されませんでしたが、ここでも和雄は違いました。「売れる」。開発にゴーサインを出したのです。
「G-SHOCK」の人気が出たのは、日本ではなくアメリカでした。テレビ番組で頑丈さが証明されたことで人気に火がつき、平成に入ると日本に「逆上陸」を果たします。「時計は決して落としてはいけない」という常識を覆すものとなったのです。
2017年、「G-SHOCK」は世界累計出荷1億個を達成しました。これも、和雄の先見の明がなければ決して実現できなかったことです。
 
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