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「カシオミニ」大ヒット | CASIO

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「カシオミニ」大ヒット

「カシオミニ」大ヒット 融合する、エンジニア魂とマーケッターの先見力
「カシオミニ」大ヒット
融合する、エンジニア魂と
マーケッターの先見力
 
和雄の奮闘で、
個人向け市場へ
 1964(昭和39)年以降、電卓市場には新規参入が相次ぎました。「電卓戦争」の勃発です。高度経済成長の最中、電卓の新製品の性能が良くなるとともに、価格は下がり、サイズもどんどん小さくなっていきました。
その頃から、カシオ計算機は個人向け市場を意識するようになりました。営業担当の和雄が最適と考えたのが文具店です。初めて4万円を切った電卓「AS-8」の発売に合わせ、カシオ計算機は全国の文具卸店を中心に「カシオエイト会」という組織を作ります。これまで営業として奮闘してきた和雄の力で、日本中の有力な文具卸店約50社、傘下の文具店約3万店が集まったのです。
 
幸雄のひらめき
 個人向け市場の開拓を進める中、ヒントを与えてくれたのはボウリングでした。日本は空前のボウリングブーム。俊雄、和雄、幸雄の3人も仕事終わりによくボウリング場へ通っていました。当時、ボウリングのスコアは手計算。とても面倒な作業でした。その時、幸雄はひらめきます。「小さくて安いボウリング用の電卓ができないものか」。エンジニアの幸雄ならではの発想でした。
その後、幸雄は開発本部の副本部長と協力して、一万円を切る4桁の電卓の開発に取り掛かります。最終的に、表示は6桁でもボタンを押すと12桁まで表示できる機能をつけることに成功し、大ヒット商品「カシオミニ」の礎が築かれたのです。
 
マーケッター・和雄
の先見の明
 幸雄は「カシオミニ」を営業本部長の和雄の元に持っていきました。和雄は「カシオミニ」を一目見て、「これはいい。個人向けの新しいマーケットが拓ける。月に10万台は売れるよ」と絶賛しました。当時、電卓は月に1万台売れればヒット商品。それでも和雄は太鼓判を押しました。
社内では「売れない」という意見が半数以上に上りました。しかし、長年営業を続けてきた和雄は強気です。反対していた幹部社員の説得にあたり、1972(昭和47)年8月、「カシオミニ」を発売します。
 
空前の大ヒット
「カシオミニ」
 和雄は価格設定も強気でした。当初は1万円以下の電卓を目指していましたが、表示を6桁に増やしたため、価格を1万2,800円に決めます。それでも、「カシオミニ」は月に10万台の販売目標をすぐに達成。1年足らずで100万台が売れるという、大ヒット商品になったのです。「カシオミニは売れる」という、和雄の予測は見事に的中しました。
「カシオミニ」を考案した幸雄のエンジニア魂と、大ヒットを予見したマーケッター・和雄の先見の明。この2つが融合し、カシオ計算機は全く新しい市場の開拓に成功したのです。
 
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