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樫尾 和雄 | CASIO

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樫尾 和雄

Profile 樫尾 和雄

樫尾和雄は樫尾四兄弟の三男として、新しい市場を切り拓いたマーケッターです。カシオ計算機の営業担当として兄の俊雄が発明した新しい商品を世に広め、生涯現役を貫きました。
和雄は幼い頃から行動派。負けん気が強く、勝つための作戦を考えることにも長じていました。相撲大会では何度も優勝。徒競走では“韋駄天の樫尾”の異名をとるほどの実力でした。
この天性の勝負強さと行動力は、樫尾製作所に入社して以降も発揮されます。それまでオフィス向けの事務機だった電卓を文具店で販売する仕組みを作ったり、価格戦略を仕掛けて電卓戦争を勝ち抜いたり、「天才マーケッター」と称されるセンスと実行力を武器にカシオの製品を拡販させていきました。
また、市場の動きを読み取る先見力も持ち合わせていました。世界初のパーソナル電卓「カシオミニ」や、耐衝撃ウオッチ「G-SHOCK」の可能性を見抜き、大ヒット商品に育てました。既成概念にとらわれず、時代を見据えた“本当の必要”を追求することで、世の中の新しい文化を創造し続けたのです。

1929年1月9日、東京都生まれ。日本大学を卒業後、50年、樫尾製作所に入社。長年にわたってカシオ計算機株式会社の営業本部長を務め、88年、代表取締役社長に就任。2015年から代表取締役会長。藍綬褒章受章(1994年)。

樫尾 和雄

和雄は60年以上にわたり会社の経営に携わり、多くの経験を積みましたが、成功に甘んじることがなく、いつも「この経験を活かして次をどうするか」と考えていました。失敗も成功も、その要因を「なぜ」「なぜ」と問いながら突き詰めることで、そこからノウハウを導き出し、これを活かして新しい挑戦をしていったのです。「ただ漠然と経験しただけでは、何も経験していないのと同じだ」「過去の経験は、未来のためにある」と、和雄はよく言っていました。

各社が激烈な競争を繰り広げていた電卓戦争の最中、新製品のスパンはどんどん短くなり、熾烈さを増していました。各社は、桁数を増やし、高機能化を続けます。それが売れるモノづくりだと信じていたのです。
しかし、和雄の考えは真逆でした。桁数を増やして競争に勝とうとするのは、メーカー側の論理。ユーザーが求めるのは、「小型で使いやすい必要十分な機能」だと確信していました。高機能からミニマムへの転換に社内では強い反対の声も上がりましたが、「これは売れる」と判断し、説得。その結果、大ヒット商品「カシオミニ」が誕生することになるのです。

「10年先も時計は今のままだろうか」。この疑問を抱えていた和雄は、弟の幸雄が提案してきた「G-SHOCK」の発売を快諾します。これは「時計は壊れやすいのが当たり前」という常識を覆すものになりました。また、時計事業参入時、メタルケースの部品メーカーを大手に押さえられて入手できなかったときも、プラスチック製の時計を商品化。時計店ではなく、多くの人が訪れて気軽に買える百貨店や量販店で販売しました。業界の常識を疑い、すぐさま行動に移す。これが、和雄の哲学でした。

1年足らずで100万台を超える大ヒット商品となった「カシオミニ」。これを魅力的に演出したのも、和雄のマーケッターとしての使命感と才能でした。和雄はテレビや新聞で大々的に宣伝。「答一発、カシオミニ」というキャッチコピーは日本中を席巻することになります。和雄は「全く新しい製品ほど、ユーザーにメリットを伝えることが大切だ」と言っていました。多くの人に理解してもらえるよう、商品コンセプトを分かりやすく伝えるメッセージを和雄がつくり、伝えたことで、多くの人が「カシオミニ」を買い、電卓は爆発的に普及。誰もが使う日用品になったのです。

四兄弟での営業役、忠雄の跡を継ぐ社長就任……そのどれも、和雄は「おれがやる」と言って引き受けました。責任が重いからこそ、やらざるを得ないからこそ、新しい道を切り拓く楽しみがあると和雄は自らが動きました。「私たちの使命は、未来の当たり前をつくること。絶えず変わっていく社会、発達していく技術。常にその先をいくのが、カシオです。困難があっても、必ずできると信じ、世の中の常識を変えていくのです」。この言葉を遺した和雄は、今も、カシオの未来を見据えています。

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