カシオの歴史

1970年代

1970(昭和45)年

5月

米国ニューヨークに現地販売会社「カシオインク」を設立

9月

東京証券取引所第2部に株式上場

1970(昭和45)年9月 東京証券取引所第2部に株式上場

カシオの業績は毎年2倍のペースで伸び続け、既存の工場では生産が追いつかなくなっていました。新工場を建てるための資金、そして急増する運転資金の調達のため、株式上場を決断。 1970(昭和45)年、東京証券取引所第二部に上場。初日の初値は公募価格より140円高の630円、高値640円、終値630円。出来高81万株でした。さらに1972(昭和47)年には第1部に指定替えを果たし、大阪証券取引所第1部にも上場。さらに翌年にはアムステルダム証券取引所、1979(昭和54)年にはフランクフルト証券取引所にも上場を果たします。

上場当日、東京証券取引所にて 樫尾茂会長(左)と樫尾忠雄社長(右)

1971(昭和46)年

4月

世界初のインクジェットプリンタ「タイピュータ」発表

1972(昭和47)年

8月

世界初のパーソナル電卓「カシオミニ」発売

1972(昭和47)年8月 世界初のパーソナル電卓「カシオミニ」発売

普及が進んで親しまれるにつれ、電子式卓上計算機の呼び名は「電卓」に変わりました。 電子回路を1チップに収めるIC、さらに集積度を高めたLSIの登場によって電卓の製造は容易になり、1965(昭和40)年以降、旺盛な企業需要を狙って参入メーカーが相次ぎます。結果、日本の電卓生産は毎年2倍以上のペースで伸び続け、1970(昭和45)年には1,000億円を突破しました。最盛期には参入企業は50社以上に達し、「電卓戦争」と言われる各社入り乱れての激烈な開発競争・販売競争が繰り広げられました。

その中でカシオは1972(昭和47)年8月、全く新しいコンセプトの新製品「カシオミニ」を発売しました。そのコンセプトとは次のようなものでした。

カシオミニ

「電卓がオフィスの合理化のための機械であるうちは市場規模は知れているが、1家に1台、さらに1人に1台になれば、巨大な市場が生まれる。計算の必要性は家庭内にもある。個人が気軽に買える価格である1万円程度の電卓を開発し、パーソナル需要を開拓する。」 当時の電卓の主流価格帯は3~5万円でした。これを1/3以下の1万円、しかも大きさは1/4以下のポケットサイズを実現するために、「カシオミニ」では設計・仕様・材料の全てが根本から見直されました。あらゆる部品に新技術が盛り込まれ、部品点数も極限まで絞り込まれました。 ディスプレイは8桁ではなく6桁に、さらに小数点も外しましたが、表示切り替えキーにより12桁までの計算と小数点以下の表示を可能にしました。キーボードには磁石を用いたリードスイッチを止め、板バネを用いたメカスイッチを新たに開発し、低コストでコンパクトなキーボードを実現しました。 生産量も月産10万台という当時では考えられない桁外れの数量でスタートしました。生産量については社内外で危惧する声が相次ぎましたが、発売するや否や「カシオミニ」は爆発的ヒットとなり、ほどなく月産20万台にまで達することになりました。発売10ヶ月後には早くも100万台の出荷台数を達成。「カシオミニ」はその後も改良が加えられ、最終的には累計生産台数1,000万台を記録する大ヒット商品となったのです。「カシオミニ」の成功により、カシオは電卓のトップメーカーとしての地位を固めました。

その後なおも「電卓戦争」は続きます。毎日のように新製品が発売され、その度に価格も下がるという生き残りを賭けた戦いが続く中、ごく一部のメーカーを除いて、開発力・技術力・販売力に乏しいメーカーは相次いで撤退・縮小を余儀なくされました。やがて数社のみを残して、この激烈な競争はようやく終えんを迎えることになります。

カシオミニの生産ライン
発売年 機種名 価格 使用素子
1957(昭和32) 14-A型 485,000円 リレー
1965(昭和40) 001型 380,000円 トランジスタ
1968(昭和43) 152型 250,000円 IC
1969(昭和44) AS-A 110,000円 LSI
1971(昭和46) AS-8 38,700円 LSI
1972(昭和47) カシオミニ 12,800円 LSI

「カシオミニ」の大ヒットにより火がついた旺盛な個人需要に応えるため、従来の甲府工場に加え、八王子工場(現・研究所)が1973(昭和48)年6月より稼動を開始。また国内外の協力工場での生産も開始され、大量生産体制が構築されました。

「カシオミニ」シリーズをはじめとする電卓の普及は、日本のエレクトロニクス産業史上、重要な意味を持っています。当時まだ緒についたばかりだった日本の半導体産業は、大量生産の電卓へ応用されることによって、大きく発展することになったのです。この意味で電卓は、「電子立国日本」の発展の基礎を築いた育ての親と言えます。

東京証券取引所第1部に指定替え

9月

大阪証券取引所第1部に株式上場

10月

独ハンブルグに現地販売会社「カシオコンピュータ」を設立

1973(昭和48)年

6月

八王子工場が稼働開始

9月

アムステルダム証券取引所に株式上場

1974(昭和49)年

5月

本社を東京都新宿区に移転

パーソナル関数電卓「fx-10」発売

11月

電子腕時計「カシオトロン」発売

1974(昭和49)年11月 電子腕時計「カシオトロン」発売

「カシオミニ」の成功によって電卓業界トップの座を不動のものとしたカシオは、収益基盤の強化を図るため、新規事業として時計事業への進出を決定しました。電卓と時計、一見全く異なったカテゴリーの商品に見えますが、当時の時計は機械式からクオーツ式へと切り替わる技術変革期に入っていました。クオーツ式の中でもデジタル時計は、水晶発振器のパルスをカウントするカウンター、言い換えれば「1秒1秒の足し算を行なっている簡単な加算器」です。カシオが電卓で培ったLSI技術を最大限活かせる製品であったのです。その意味で、時計事業への進出は、カシオにとってはごく自然な流れだったのです。

カシオトロン

しかし当時の時計業界は、生産面・販売面で緊密に系列化されており、新規メーカーが参入するのは極めて困難な状況でした。この困難を地道な努力で打開し、1974(昭和49)年11月に、時・分・秒はもちろんのこと、独自の機能として大の月・小の月を判別し、月替わりの日付を自動処理するコンピュータ・ウオッチ「カシオトロン」が発売されました。

主な特長 表示切り替え
(時・分・10秒・秒・AM / PM ←→ 月・日・曜日)
自動カレンダー
表示 FE型液晶デジタル表示
主要素子 水晶振動子、C MOS-LSI
価格 58,000~65,000円

1975(昭和50)年

9月

英国ロンドンに現地販売会社「カシオエレクトロニクス」を設立

1976(昭和51)年

3月

東京都新宿区に「カシオリース(株)」を設立

7月

電子式金銭登録機(ECR)「Σ-50ER」発売

12月

初の複合電卓「でんクロ」(CQ-1)発売

1978(昭和53)年

1月

初の名刺サイズ電卓「カシオミニカード」(LC-78、厚さ3.9mm)発売

2月

台湾に現地生産会社「台湾刻時豪股有限公司」を設立

9月

自社製液晶を搭載した最初の腕時計「31-CS10B」発売

1979(昭和54)年

1月

フランクフルト証券取引所に株式上場

7月

東京都西多摩郡羽村町(現羽村市)に羽村技術センター完成

1979(昭和54)年7月 東京都西多摩郡羽村町(現羽村市)に羽村技術センター完成

事業拡大に伴ない、技術系の本拠地である東大和市の東京事業所が手狭になったため、1978(昭和53)年12月、新たに東京西多摩郡羽村町(現・羽村市)に技術センターの建設に着手。カシオの技術開発の中核拠点として、翌年7月に完成しました。

羽村技術センター

日本語オフィスコンピュータ「Σ-8700シリーズ」発売

10月

山形県東根市に生産会社「山形カシオ(株)」を設立

1979(昭和54)年10月 山形県東根市に生産会社「山形カシオ(株)」を設立

電卓、時計、電子楽器とカシオの事業分野が広がるのに伴ない、東京工場、甲府工場、八王子工場と生産拠点を建設してきましたが、旺盛な需要に支えられそれぞれの事業が拡大を続ける中、従来の3工場では対応できなくなったため、カシオ計算機の100%出資の生産会社として山形カシオ(株)を設立し、山形県東根大森工業団地内に建物面積約9,400平方メートルの工場を建設。当初は電卓・時計の生産を担当し、やがて電子楽器、携帯電話、デジタルカメラと生産品目を広げました。

山形カシオ