- 会社の出来事
- 製品に関する出来事
1970年代
1970(昭和45)年5月
米国・ニューヨークに現地販売会社「カシオインク」を設立
1970(昭和45)年9月
1971(昭和46)年4月
インクジェット方式の電子タイプライター「タイピュータ」を発表
1971(昭和46)年9月
文具店に展開した電卓「AS-8」発売
1971(昭和46)年11月
1972(昭和47)年2月
カシオ初の関数電卓「fx-1」発売
1972(昭和47)年3月
独・ハンブルグに「カシオヨーロッパ」を開設
1972(昭和47)年8月
1972(昭和47)年8月
東京証券取引所第1部に指定替え
1972(昭和47)年9月
大阪証券取引所第1部に株式上場
1972(昭和47)年10月
独・ハンブルグに現地販売会社「カシオコンピュータ」を設立
1973(昭和48)年6月
八王子工場が稼働開始
1973(昭和48)年9月
アムステルダム証券取引所に株式上場
1974(昭和49)年5月
本社を東京都新宿区に移転
1974(昭和49)年5月
1974(昭和49)年11月
1975(昭和50)年9月
英国・ロンドンに現地販売会社「カシオエレクトロニクス」を設立
1976(昭和51)年3月
東京都新宿区に「カシオリース(株)」を設立
1976(昭和51)年7月
電子式金銭登録機(ECR)「Σ-50ER」発売
1976(昭和51)年8月
世界時計機能付き腕時計「X-1」発売
1976(昭和51)年12月
時計機能を搭載した複合電卓「でんクロ CQ-1」発売
1977(昭和52)年3月
ファクシミリ「FAX-2000」発売
1978(昭和53)年1月
初の名刺サイズ電卓「カシオミニカード LC-78」(厚さ3.9mm)発売
1978(昭和53)年2月
台湾に現地生産会社「台湾刻時豪股有限公司」を設立
1978(昭和53)年7月
パーソナルコンピュータ「V-900」販売開始(出荷8月)
1978(昭和53)年12月
初めて樹脂製ケースを使った腕時計「F-100」発売
1979(昭和54)年1月
フランクフルト証券取引所に株式上場
1979(昭和54)年4月
開発・技術・生産・営業・総務の5本部体制に変更
1979(昭和54)年7月
山梨県中巨摩郡玉穂村(現 中央市)に「甲府カシオ(株)」を設立
1979(昭和54)年7月
東京都西多摩郡羽村町(現 羽村市)に羽村技術センター完成
1979(昭和54)年7月
日本語オフィスコンピュータ「Σ-8700シリーズ」発売
1979(昭和54)年8月
香港に「カシオ計算機(香港)有限公司」を設立(87年事業開始)
1979(昭和54)年10月
山形県東根市に生産会社「山形カシオ(株)」を設立(80年4月稼働)
1970(昭和45)年 9月
東京証券取引所第2部に株式上場
カシオの業績は毎年2倍のペースで伸び続け、既存の工場では生産が追いつかなくなっていました。新工場を建てるための資金、そして急増する運転資金の調達のため、株式上場を決断。1970年、東京証券取引所第2部に上場。初日の初値は公募価格より140円高の630円、高値640円、終値630円。出来高81万株でした。さらに1972年には第1部に指定替えを果たし、大阪証券取引所第1部にも上場。さらに翌年にはアムステルダム証券取引所、1979年にはフランクフルト証券取引所にも上場を果たします。
1971(昭和46)年11月
有力な文具卸店と「カシオエイト会」を結成し、日本全国規模の販売体制を確立
普及が進んで親しまれるにつれ、電子式卓上計算機の呼び名は“電卓”に変わりました。電子回路を1チップに収めるIC、さらに集積度を高めたLSIの登場によって電卓の製造は容易になり、旺盛な企業需要を狙って参入メーカーが相次ぎます。結果、日本の電卓生産は毎年2倍以上のペースで伸び続け、1970年には1,000億円を突破しました。最盛期には参入企業は40社ほどに達し、電卓戦争と言われる各社入り乱れての激烈な開発競争・販売競争が繰り広げられました。
そんな中、1971年、他社が5万円を切る電卓を発売すると、カシオはすぐさま4万円を切る「AS-8」を発売します。従来の電卓は主に企業向けで、事務機店のセールスマンによる訪問販売の手法がとられていました。しかし、「AS-8」の価格を3万円台まで下げることで、電卓を企業が使う事務機から、家庭で使える商品へ変える意図があったのです。
そこで営業担当の和雄が提案したのは町の文具店での店頭販売です。発売前の製品サンプルを手に文具卸店を回り、取り扱いを依頼。「店に供給したい」と快諾を受けました。そして和雄は、1971年、「AS-8」の発売と合わせ、日本中の有力な文具卸約50社と、その傘下の文具店約3万店が集まった「カシオエイト会」を結成。全国規模の販売体制の確立に成功したのです。
1972(昭和47)年 8月
計算を、もっと多くの人に、もっと手軽なものに
世界初のパーソナル電卓「カシオミニ」
「カシオミニ」は、パーソナル使用を前提に開発した電卓です。サイズは当時主流の4分の1、価格は3分の1に抑えた1万2,800円を実現。当時、電卓のヒット商品といえば年間10万台前後でしたが、カシオミニは発売後10カ月で100万台を販売する大ヒットとなりました。これにより、1960年代後半から数十社におよぶメーカーがしのぎを削った電卓戦争の大勢が決まりました。開発のヒントとなったのは日本中でブームを巻き起こしていたボウリング。当時のスコアは手計算で算出しており、ボウリング用に小さくて安い電卓を開発することを思い付きました。事務用の電卓は8桁表示が当たり前の時代に、家庭用として6桁表示に絞り込むとともに、大量生産に適する部品の開発、高度でスピーディーな計算を実現する大規模集積回路(LSI)の開発にも取り組み、「カシオミニ」が誕生したのです。一家に一台を実現した「カシオミニ」のヒットは電卓市場の拡大、半導体産業の発展にも貢献しました。その後、電卓の技術進化はさらなる小型化・省電力化の道を進みます。カシオは1983年に、厚さ0.8ミリという世界最薄の電卓「SL-800」を発売。クレジットカードサイズの電卓は、電卓のパーソナル化、薄型化の技術的な終着点としてニューヨーク近代美術館(MOMA)の永久所蔵品となり、「カシオミニ」と同じく重要科学技術史資料(未来技術遺産)にも選ばれています。
1974(昭和49)年 5月
個人でも手軽に関数計算ができる
パーソナル関数電卓「fx-10」
「fx-10」は、ポケットサイズのパーソナル関数電卓です。1970年頃の日本では、関数計算は小型とされるものでも現在の冷蔵庫ほどの大きさだったコンピューターの役割。価格も100万円以上と実用的ではなく、多くの技術者は計算尺と呼ばれる物差し型の器具を使って計算していました。1972年、カシオは本格的な関数計算を手軽に行える電卓「fx-1」を発売します。「fx-1」は16種類もの関数計算をワンタッチのキー操作で扱える使い勝手の良さから多くの支持を獲得しました。その2年後、「fx-1」の重さを約7分の1、価格を約13分の1にして発売したのが、国産初の関数計算用LSIチップを搭載した「fx-10」です。三角関数、指数関数、対数関数など、使用頻度の高い10種類の関数計算キーを装備し、ワンタッチでの処理が可能。持ち運びがしやすく、これまで計算尺を使っていた技術者が個人で関数電卓を持つことができるようになりました。現在、幅広い国々で愛用されているパーソナル関数電卓の原点がここにあります。
1974(昭和49)年 11月
日付修正の手間をなくすオートカレンダーを搭載した
電子腕時計「カシオトロン QW02」
カシオトロン「QW02」は、カシオが発売した初めての腕時計です。当時は、機械式時計からクオーツ式へと切り替わる技術変革期。電卓業界でトップの座を不動のものとしたカシオは、新規事業として時計業界への進出を決定します。クオーツ式の中でもデジタル時計は、カシオが電卓で培ったLSI技術を最大限生かせる製品だと考えたからです。 「QW02」は、“完全自動腕時計”という開発思想により、時・分・秒の表示はもちろん、大の月・小の月を自動的に判別する世界初のオートカレンダーを搭載していました。従来の腕時計を使用する場合は、月が替わった日にカレンダーの日付を直す必要がありましたが、この手間を省くことに成功したのです。その後、閏年の2月29日まで自動判別を可能にしたフルオートカレンダーの腕時計も実現します。1976年には、時計機能に加えて、ストップウオッチや世界時計機能(ワールドタイム)の機能を備えた「X-1」を発売。その後、カシオのデジタル技術を駆使した多機能デジタルウオッチの開発が進められていきます。