- 会社の出来事
- 製品に関する出来事
1990年代
1990(平成2)年4月
デバイス販売会社「カシオ電子デバイス(株)」を設立
1990(平成2)年8月
高知県南国市に生産会社「高知カシオ(株)」を設立(91年7月稼働)
1990(平成2)年10月
マレーシアに生産拠点「カシオマレーシア」を設立(92年4月稼動)
1991(平成3)年3月
CDプレイヤーを搭載した電子ピアノ「CELVIANO」発売
1991(平成3)年4月
高速印字のページプリンタ「ページプレスト」発売
1991(平成3)年5月
(株)朝日コーポレーションに資本参加し、海外生産拠点を拡大
1991(平成3)年10月
シンガポールに事務所を開設
1991(平成3)年11月
1991(平成3)年12月
漢字辞書を内蔵したデータバンクウオッチ「DKW-100」発売
1992(平成4)年2月
腕時計型血圧計「BP-100」発売
1992(平成4)年3月
1992(平成4)年4月
「カシオ情報機器(株)」を設立
1992(平成4)年7月
たばこサイズの超小型・軽量液晶テレビ「CV-1」発売
1992(平成4)年11月
子供向け電子手帳「JD-300」発売
1993(平成5)年4月
英国・ロンドンにカシオ欧州本部を設置
1993(平成5)年6月
中国・広東省に関数電卓・電子手帳の生産・販売合弁会社「カシオ電子(中山)有限公司」を設立(95年稼動)
1993(平成5)年10月
携帯情報端末「Z-7000」を北米で発売
1993(平成5)年12月
ロシア・モスクワに事務所を開設
1994(平成6)年3月
1994(平成6)年4月
1994(平成6)年9月
「光る鍵盤」を採用した電子キーボード「ML-1」発売
1994(平成6)年10月
家庭用はがき印刷機「ポストランド HV-50」発売
1994(平成6)年11月
液晶プロジェクションテレビ「FV-600」発売
1994(平成6)年12月
1995(平成7)年1月
アウトドアウオッチ「PRO TREK」発売
1995(平成7)年3月
中国・広東省に電子キーボード生産・販売の合弁会社「カシオ電子(珠海)有限公司」を設立
1995(平成7)年3月
1995(平成7)年3月
「見えるラジオ」受信機「MR-1」発売
1995(平成7)年6月
電波時計機能内蔵データバンクウオッチ「FKT-100L」をドイツで発売
1995(平成7)年6月
中国・広東省に時計の生産・販売合弁会社「カシオ電子(広州)有限公司」を設立
1995(平成7)年6月
FM多重放送が受信できるカシオ初のカーナビ「NS-600」発売
1995(平成7)年7月
1995(平成7)年9月
台湾で販売合弁会社「台湾カシオ立信」設立(2005年8月「台湾カシオ販売」として完全子会社化)
1995(平成7)年11月
中国・シンセン市に時計の部品調達・設計の合弁会社「カシオ電子(シンセン)有限公司」を設立
1996(平成8)年1月
インド・ニューデリーにページャーの生産・販売合弁会社「カシオ バルチ モバイル コミュニケーションズ」(現・カシオインディア)を設立
1996(平成8)年6月
1996(平成8)年7月
高速印刷・低ランニングコストのA3カラーページプリンタ「N4」発売
1996(平成8)年11月
1997(平成9)年7月
ハンドヘルドPC「カシオペア」(日本語版)発売
1997(平成9)年8月
電波時計「FKT-200LJ」を国内で発売
1997(平成9)年10月
サービス部門(CS事業部)を分社し、「カシオテクノ(株)」を設立
1998(平成10)年1月
本社を渋谷区初台に移転
1998(平成10)年6月
Palm size PC 「カシオペア E-10」を米国で発売
1998(平成10)年6月
パソコンリンクウオッチ「PCクロス」発売
1998(平成10)年11月
Win98ミニノートPC「カシオペア ファイバ MPC-101」発売
1999(平成11)年6月
執行役員制度を導入
1999(平成11)年6月
「カシオシステムエンジニアリング(株)」と「カシオエスビーシー(株)」を統合し、「カシオソフト(株)」を設立
1999(平成11)年6月
世界初のGPS機能内蔵ウオッチ「サテライトナビ」発売
1999(平成11)年7月
ERPシステムを全社で導入
1999(平成11)年8月
女性用メタルアナログウオッチブランド「SHEEN」発売開始
1999(平成11)年9月
SCMシステム導入開始
1992(平成4)年 3月
小学生向け算数学習用電卓「AZ-8」「SL-300LH」発売

1992年度から学習指導要領が変わり、小学5・6年生の算数の授業で電卓が使われるようになりました。計算の原理は小学校低学年でしっかりと学んで身に付け、それ以降はいちいち筆算をしなくても状況に応じて電卓を使い、できた余裕を考える時間や理解を深める時間に振り向けよう、というのが電卓使用の主旨でした。「AZ-8」と「SL-300LH」は、教材として学校に納入されたもので、小学生にも使いやすいように、小数点の表示を大きくし、保護用のスライド式ハードケースを付けるなど、さまざまな工夫を施してありました。翌1993年には、教科書と同じ表記で分数を計算できる「AZ-40F」を発売し、教育現場や子どもたちから歓迎されました。
1991(平成3)年 11月
整理整頓を、エレクトロニクスの力でもっと楽に
ラベル印刷機「ネームランド KL-1000」

「ネームランド KL-1000」は、ラベルを手軽に作成できる小型の漢字ラベルライターです。以前から市場にはダイヤルを手で回す刻印式ラベルライターがあり、1988年には漢字対応の熱転写式ラベルライターが市場に出ていましたが、文字入力は刻印式を踏襲したものでした。このような時代に、漢字入りの美しいラベルを簡単に作成できることを目指して開発したものが「KL-1000」です。キーボードを搭載することで簡単に文字を入力できるほか、専用に開発されたテープは熱転写式のラベルライターに不可欠だった保護用ラミネート層を不要にし、薄くなったことで貼りやすさも向上。テープの最大幅18ミリという寸法は、当時普及していた家庭用ビデオテープにもぴったりで、録画したテープの背ラベル作成用として用いられました。整理整頓をもっと楽にする。そんなユーザーの声に、「KL-1000」はエレクトロニクスの力で応えました。
1994(平成6)年 3月
ポケベル同士での双方向コミュニケーションを実現
「NICOTO NP-500」

「NICOTO(ニコット)NP-500」は、無線呼出サービス専⽤の受信端末として当時大流行していたポケベル(ページャー)に、さらなる革新をもたらしました。それまでのポケベルは受信機能しかなく、受信できる情報も折り返しの電話を想定した番号などでしたが、送信者は固定電話のダイアルボタンを押して、「0840(おはよう)」など語呂合わせでメッセージを送っていたのです。しかし当然、語呂合わせを知っている人にしか使えない、複雑な内容を伝えられないという課題は拭えませんでした。そのような中、「NICOTO NP-500」は業界で初めて、数字だけでなくカタカナやアルファベットも送受信できる機能を搭載。「スグカイシャニTELシテ」というメッセージを作成し、固定電話の送話口に端末を当てスイッチを押す。するとメッセージがトーン信号に変換されて伝わり、受信者の端末に同じメッセージが再現されるという仕組みです。端末同士での双方向コミュニケーションを実現した「NICOTO NP-500」の発想は、後に流行するPHS(簡易型携帯電話)や携帯電話でのショートメッセージサービスを先取りしたものでした。
1994(平成6)年 4月
高知のTFT液晶工場稼働開始(93年8月竣工)

“商品の顔”である液晶ディスプレイは、商品企画の成否すら左右しかねないキーデバイスです。当時、カシオではTN、STN液晶を生産していましたが、液晶テレビに代表されるように、時代は、より鮮やかできめ細かい画像表示が可能なTFT液晶を使った商品を求めるようになってきていました。そこで、カシオはTFT液晶の自社生産を決定、1993年に既存高知工場の隣接地に新工場を竣工。翌年から業界初のTFT液晶デバイスの一貫生産をスタートさせました。以来、中・小型TFT液晶ディスプレイの生産ラインアップを拡充し、実装モジュール技術、高度な生産技術など最新の体制と技術ノウハウを蓄えてきました。2002年1月には、旺盛な需要に応えて建設した新工場のTFT第二ラインも稼動を開始。ここで生産されたTFT液晶ディスプレイは、デジタルカメラ、携帯電話、PDA(携帯情報端末)、ビデオムービーなどの内蔵モニター用として、全世界で使用されました。
1994(平成6)年 12月
女性用耐ショック腕時計「Baby-G」発売

1983年に発売された耐衝撃腕時計「G-SHOCK」は、後に海外から逆輸入の形で人気が沸騰し、品不足が続くほどの大ヒット商品となりました。「G-SHOCK」人気に後押しされ、従来、機能性だけが求められていたデジタルウオッチに、重厚でタフネス感を強調した商品が、各社から相次いで発売されるようになりました。この年カシオでは、新たに女性向けの耐衝撃腕時計「Baby-G(ベイビーG)」シリーズを誕生させました。シリーズ第一弾の「DW-520」は、「G-SHOCK」の耐衝撃性を継承しながら、当時、ティーンの女の子の間で人気のサーフファッションをデザインモチーフに、ポップ感覚溢れる色調でまとめあげた、レディースサイズの可愛らしいデジタルウオッチでした。その後「Baby-G」は、機能別・テーマ別のバリエーション展開を続け、2014年には20代・30代の大人の女性をターゲットに転換。ブランド表記を「BABY-G」にリニューアルしました。
1995(平成7)年 3月
デジタルならではの楽しみ方を提案した液晶デジタルカメラ「QV-10」

「QV-10」は、世界初の液晶モニター付き民生用デジタルカメラです。光学ファインダーをなくし、液晶モニターが搭載されたカメラは、写真をプリントするフィルムカメラの代替ではない、カシオならではのデジタルカメラのあり方を提案したものでした。撮影した画像を液晶モニターですぐに確認できるほか、ビデオ端子とデジタル端子を搭載し、テレビへの出力やビデオへの記録、パソコンに転送して加工・保存も可能。マルチメディア時代にマッチする多様な使い方を可能にすることで、カメラの新しい楽しみ方を提案し、1年で20万台を売り上げるヒットとなりました。「QV-10」開発の裏には、1987年に発売した電子スチルカメラ「VS-101」がありました。コンセプトは、“ビジュアル・コミュニケーションツール”。撮影した静止画をアナログの映像信号としてフロッピーディスクに記録・再生することにより、テレビに写真を映して大勢で見ながら楽しむなど、写真の楽しみ方を広げたい、という発想から生まれたものでした。その発想を受け継ぎ、デジタル技術を駆使して開発された「QV-10」は、デジタルカメラ市場を切り開くのです。
1995(平成7)年 7月
PHS電話機「PH-100」発売

PHSは、低料金で気軽に利用できる簡易型携帯電話として、1995年7月にサービスが開始されました。PHSサービスを提供する事業者は、NTTパーソナルとDDIポケット、そしてアステルの3グループ(当時は地域別会社)。カシオはDDIポケット向けに「PH-100」を発売しました。「PH-100」は、小型・軽量・長電池寿命といったPHS本来の特長に加え、便利な留守録機能を本体に装備。さらにメモ録、音声アラーム、AI電話帳などカシオ独自の機能を満載していました。カシオはこの「PH-100」の発売を機にPHS電話機市場への参入を図りました。これにより、音声のみならず文字データや画像をも取り込んだ新しいマルチメディア携帯端末の開発が促進されることになります。
1996(平成8)年 6月
クロックタイプの電波時計「DQD-10/DQD-11」発売

電波時計は、標準時刻情報をのせた長波標準電波を受信することで、常に正しい時刻を表示する時計です。1995年、先行して電波送信サービスが始まったドイツ向けに、コンビネーション型ウオッチタイプの『FKT-100L』を開発・出荷し、翌年に日本でクロックタイプの『DQD-10/DQD-11』を発売しました。『DQD-10/DQD-11』が発売された1996年当時は、長波の標準電波は正式送信波ではなく、茨城県三和町からの試験送信だけでしたが、時刻修正がいらない時計ということで話題を呼びました。その後、1999年6月10日に、福島県おおたかどや山標準電波送信所から、40kHz標準電波の正式送信が始まりました。それに伴い、カシオではウオッチ、クロックと、さまざまな機種の電波時計を本格投入しました。2001年10月には、福岡県と佐賀県の境にあるはがね山標準電波送信所からの送信も開始され、標準電波受信可能領域が日本全国に広がりました。これにより、日本全国どこからでも電波を確実に受信できるようになり、電波時計の浸透に追い風となりました。
1996(平成8)年 11月
情報を持ち歩く、という発想のハンドヘルドPC
「カシオペア A-10/A-11」

「カシオペア A-10/11」は、カシオがマイクロソフト社と共同開発し、北米で発売したハンドヘルドPCの1号機です。ハンドヘルドPCとは、マイクロソフトが規格化した携帯情報端末のこと。1995年にWindows 95の登場で到来した本格的なパソコン時代に合わせ、カシオはWindows CEを搭載した「カシオペア」を開発したのです。その開発の背景にあったのは、“情報を持ち歩く”という発想でした。この発想は、以前からさまざまなカシオ製品に存在しているものでした。例えば、1983年に発売した電子手帳「PF-3000」は、電話番号やアルファベットなどの文字情報を記録でき、1987年には漢字対応電子手帳「DK-1000」を発売しました。腕時計としては、1984年に発売したデータバンク「CD-40」に、10人分の電話番号を記憶できる機能を搭載。“腕に着ける情報機器”として、時計の進化にも取り組んでいきました。1993年にはPDA(Personal Digital Assistant)と呼ばれた携帯情報端末「Z-7000」を発売。その系譜は「カシオペア」へとつながっていきました。