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カシオ建物物語~ 土間から始まったイノベーション

2025年6月2日


1957年6月1日にカシオ計算機は創立されました。
今回は、当社の創立記念日にちなんで、カシオの「建物」の歴史を振り返ってみます。

1950年代

日本家屋の土間で産声をあげた計算機
1950年代、世界初の小型純電気式計算機「14-A」の開発に取り組んでいた樫尾四兄弟。東京都の三鷹市にある小さな二階建ての家に住み、一階の土間で、開発資金を稼ぐための下請け仕事や計算機の試作をしていました。

アメリカには家のガレージで起業する「ガレージメーカー」がたくさんありましたが、カシオは日本ならではの「土間メーカー」だったのです。

会社に住んでいるのと同じだったので、汗を流して下請け仕事をこなした後、食事を終えて試作を続ける日々を、約7年間も続けました。

四兄弟の白黒写真

「14-A」と四兄弟

「14-A」を完成させた1957年、樫尾四兄弟は武蔵野市に小さな工場をつくり「カシオ計算機株式会社」を設立しました。

武蔵野工場の白黒写真

武蔵野工場

1960年代

計算機の量産開始で新工場を建設、本社も移転
リレー計算機は順調に売れ続け、もっと大きな工場が必要になったので、1960年、東大和市に「東京工場」をつくって量産体制に入ります。1966年には本社もここに移転。社員が増えて、建物も増築を重ねていきます。

東京工場の写真

東京工場

電卓の生産拠点として、1969年には山梨県の甲府にも工場が生まれました。

1970年代~1980年代

本社機能と開発機能が分かれ、新工場が次々誕生
電卓に加えて時計が生まれ、会社が大きくなって分業化が進み、本社と研究所と工場が分かれます。
1974年に本社を新宿区の新宿住友ビルに移し、1979年には東京都西多摩郡羽村町(現・羽村市)に羽村技術センターが完成。開発機能がこちらに移りました。そして1983年には、ここで「G-SHOCK」が誕生することになります。

羽村技術センターの白黒写真

羽村技術センター

生産品目と生産量が増えるにつれて、次々と新工場が立ち上がりました。1980年には山形カシオが稼働開始。愛知県、韓国、東京都(青梅市)にも生産拠点が誕生しました。

1990年代

社員増加で分散したオフィスを集約して新本社に移転
1980年代半ばから急速に進んだ円高の影響で生産の海外移転が進み、中国やアメリカなど、海外に相次いで生産拠点を設立します。
事業の拡大にともない、社員も毎年数百人規模で増え続けました。
これに対応して1990年、羽村技術センターにはR&D棟の3号棟を新設し、開発力を強化しています。
本社はオフィスのスペースが足りず、近隣のビルも借りていました。打ち合わせのために社員が新宿の街をあちこち歩き回っていたのです。分散したオフィスを集約して意思疎通と連携を効率化するため、渋谷区初台に自社ビルを建設し、1998年に移転しました。

左:羽村技術センターの写真/右:初台本社の写真

左:羽村技術センター(3号棟完成後)/右:初台本社

2000年代~2010年代

海外販売会社を相次いで設立
事業のグローバル化にともない、国内よりも海外の売上の方が多くなっていました。代理店を通じた販売に頼らず、現地のマーケットに密着した営業活動を行うため、欧米、アジア、中南米などに、相次いで販売会社を設立しました。

2025年

イノベーションを起こすため、羽村新技術センター建設と本社リノベーションに着手
今年、カシオは新たなイノベーションを起こすため、羽村技術センターの建て替えと、初台の本社のリノベーションを開始します。新技術センターでは実験設備を備えたラボ棟、本社では社員同士の交流を促すマグネットフロアを新設するなど、大きく生まれ変わります。詳しくは下のニュースリリースをご覧ください。

5月27日、新技術センターの地鎮祭がおこなわれました。
公式noteに地鎮祭の模様をレポートしましたので、お読みください。

<ニュースリリース>
新技術センター建設と本社リノベーションについて

<関連リンク>
新技術センターの地鎮祭を実施「未来を切りひらくための拠点に」
カシオ公式note(6月2日掲載)

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